妻が「壁ドンやってみて」と言うのでやってみたらひどいことになった

2014年の新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた「壁ドン」。
今や、すっかり市民権を得たと思われる言葉だが、実際にやった/やられた人の数は予想外に少ない

そんな壁ドン、結婚から4年が経たんとする我が家でも発生することはないであろうと思っていたのだが、洗面所で連れ立って歯磨きをしている時に妻が何気なく口にした
「壁ドンやってよ」
の一言。

突然のリクエストに戸惑う僕。壁ドンが威力を発揮するのは、得てしてそれが不意打ちであることによることだとするならば、今この状況はその正反対。相手が態勢を整えて待ち構えているところへ飛び込んでいったとして、果たして期待されていた効果が発生するものか。
いや、ないであろう。
しかし無下に断って、妻のこんなにもささやかな望みも叶えられない夫であることを自ら認めるわけにもいかない。
妻の歓心を買うことは、まだ僕の中で重要な地位を占めている。結婚後長い月日が経てばそんなことに恋々とすることもなくなるのかもしれないが。

よし、やってみよう。
しかし、ドンした後に続ける、女子がキュンとするような言葉が全く思いつかない。
どうすれば、しかし時間がない。
ああどうしよう、どうしようと思い悩む時間もそこそこに、ええいままよ、と壁を背にした妻の顔の横に手をつく。壁ドンの体勢の完成だ。
後は言葉だけ。
しかし未だにいい言葉はおろか、凡庸なフレーズの一つも浮かんでこない。
沈黙のうちに時間だけが経つ。しかし僕の口はその沈黙に耐えうるすべを持っていなかった。
そして、決定的な過ちを犯してしまう。

「ドン」

これは僕が壁に手をついた音ではない。紛れもなく僕の口から発せられた言葉だ。
本来、女性を口説くための攻撃的で、魅惑的な言葉でなければならなかったものが、何故、単なる擬音となってしまったのか。
僕にはもはやわからなかった。否、これ以上の敗北感を味わうことに耐えられない僕の心が、考えることを無意識のうちに拒否したのかもしれなかった。
その場に崩れ落ち、敗北感に震える僕。妻は苦笑い。
僕はどうすればよかったのか。
そもそも、いつでも壁ドンできるように、いい言葉を普段から集めて、準備しておくべきだったのか。

その答えがいつか自分の中で納得できる形で出た時に、僕は全力で、妻の不意をついて壁ドンし、女心をメロメロにするキラーフレーズをぶつけることができるだろう。

捲土重来。

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