雪見もせで(2018/02/09)

雪が降る降る、と言いつつ昼過ぎまでは雨こそ降れ、雪までは降っていなかった。しかし所用あり外出した15時過ぎからいきなり大粒の雪が降ってきた。気温も急に下がったようで、肩をすくめつつ歩く。
あまりに寒く、ろくに雪を愛でることもせずに部屋にこもってしまった。反省。

緊張と緩和(2019/02/08)

ひたすら仕事。歳のせいか、徹夜を引きずるようになっている。
今日は早めに切り上げ、帰ってロンドンハーツの録画を見る。ミキのお兄ちゃんの方が落とし穴に落ちるとき、勢いよく落ちるのではなくて、ゆっくりと転がりながら落ちていったのがやけにおかしく、久しぶりに涙がにじむほどに笑った。

笑いを生むメカニズムとして「緊張と緩和」という言葉が語られることがあるが、仕事や勉強といった日常の営みを「緊張」と位置づければ、テレビでお笑い番組を見ることそれ自体が「緩和」とすることもできるなあ、とうだうだ考えたり。

生活感について(2017/07/02)

今日も今日とて休日出勤。
この仕事が終わったら、俺…等と考えつつ、夜まで。
夏至は過ぎたがまだ日は長い。家に帰ってきて玄関に入ろうとしたとき、ふと見上げたまだ明るい空に廃屋の傾きかけたアンテナが映った。「今ごろは 終りの季節/つぶやく言葉は さようなら」(細野晴臣「終りの季節」)

今日は東京都議会議員選挙。藤沢駅前でも政治家の辻立ちがよく見られるようになってきたが、足を止めて聴こうとなる人は殆どいない。自らの思いを語るのは構わないが、有権者の暮らしや思いに寄り添った、生活感のある主張になっていないと伝わらないのかなと思う今日このごろ。

昨日見た夢(2017/03/06)

テニスの試合?練習。
テニスバッグ(財布入り)をコインロッカーに入れる。
終了後、ロッカーの鍵を開けるが中はもぬけの殻
他の人も同じ被害に遭っているよう
周りを見回すと、テニスコートの周りの木々にみんなのバッグの中身がかけられていることに気づく
ある木などは、枝という枝にテニスシューズがかかっている
とにかく近くにあるかもしれない、ということで近辺を探し回るが自分のバックはない
裏側に回り込み、ようやく見つけることができた
中身が外に出された形跡はなく、財布も無事見つかる
しかし、何のために誰がこんなことをしたのかは謎のまま
不安感だけが残る

東海道線の通勤あれこれ

藤沢に引っ越した当時の記事を発掘してみた。当時は張り切って早起きして早めの電車に乗っていたが、この後すぐに30分後くらいの電車に落ち着いたというのはむべなるかな、というお話。

とはいえ、藤沢発7時半くらいの東海道線であれば、本を読んだり携帯電話を見たりするスペースを充分にとることができる。運が良ければ大船か戸塚で座れることもある。これまで、中央線、総武線とラッシュが激しい沿線に住んできたが、それに比べれば随分と楽に感じるのが正直なところ。

毎朝、車窓からの景色を見ていて思うのは、住宅開発への飽くなき意欲というか、執念にも似たようなものがあるなということ。特に東戸塚から保土ヶ谷あたりでは、斜面に建物と同じくらいか、それを凌ぐくらいの高さの基礎をおっ立てたような家が林立しているさまを見ることができる。
反対側を見れば、斜面に取り付くような形で階段上に建てられたマンションなどもあり、飽きのこない景色になっているかと思う。
でも、仮に自分がそこに住むとなると、及び腰になってしまうだろう。坂きつそう…

2016年・年頭の感

あまりにここに書かなさすぎると、どんどんと何をするのも億劫になってきたような気がして、危機感ともいうべき感情に駆られ、ふとパソコンに向かう。

とはいえ、そんなに大層なネタがあるわけでもなく、今この瞬間にふとこう思った、こう感じた、ということを記録する。それだけでもいいんだろう。

そんな年明け。

たまには遠回りを

仕事などをしていると、いつも最短距離を走ることを求められているようで、息苦しくなる時がある。そんな時は、帰りに少し寄り道などしてみるのもよいかと。
六郷橋
ある日、多摩川を歩いて帰った時の六郷橋。左手に見える河川敷には男たちの秘密基地が並んでいるのだが、その話はまたの機会に。

最近、自分にイライラしている

家に帰ると、娘は大概起きている。
夕飯を食べて、娘とじゃれあったりしているうちに夜11時くらいになる。
娘はそろそろ寝る時間なのだが、みんなで床につかないとダメらしく、「パパ、パパ」と言ってゴネる。
しょうがないなー、とついて行き、携帯片手に寝かしつけているうちに自分が寝てしまう。
という流れを、最近何回も繰り返している。

自分の意志の弱さにイライラしている。