| 日 | 時間 | 行動 | 
|---|---|---|
| 3/21 | 2000-2230 | 呼び出されて秋葉原で寿司、酒。 | 
| 2300-0100 | カラオケ。トイレで嘔吐し最後30分くらい寝る。 | |
| 3/22 | 0100-0300 | 泥酔状態で家まで歩いて帰宅。途中深夜営業のラーメン屋でつけめん。 | 
| 0400-1000 | 就寝。朝一で予定があったがこの酔いっぷりでは無理と判断しキャンセル。 | |
| 1000-1200 | 起床するなり、胸のあたりが締め付けられるような痛みを覚える。ベッドから動かず。 | |
| 1200-1300 | 痛みが治まってきたので、駅に置きっぱなしになっていた自転車を取りに行くついでに買い物。夕食と翌日のおでんの材料を買い込む。 | |
| 1300-1400 | 昼食代わりにシリアルを食べる。 | |
| 1400-1800 | 相撲を見るなどして過ごす。 | |
| 1808 | テレビの相撲中継が佳境にさしかかるくらいから、胸部の痛みが再発。そのままやり過ごそうと思ったが痛みが増す一方であり、治まる気配がない。このような痛みを感じたのは初めてであるという不安も手伝い、やむなく119番通報。名前と自宅の住所、症状を伝える。 | |
| 1823 | 教えてもいない携帯番号に、救急隊員の方から連絡あり。問われるがままに再度症状を伝える。 | |
| 1830 | 消防車に乗って救急隊員の方々が到着。ベッドに座りながら問いに答える形で症状を伝える。 | |
| 1840 | 救急車到着(実際に見てはいないがサイレンの音でそう判断できた)。「外に歩いて出られるか」と尋ねられたが、歩くことに不安があったため玄関に座り込んだ形で血圧、脈の測定。先ほどと別の隊員の方から問われるままに症状を答える。 | |
| 1850 | 救急車に収容される。サイレンを聞いて外に出てきたであろうと思われる近隣住民の好奇の目にさらされる。 | |
| 1900 | 収容先を探している間、再び問診。「軽い(心筋)梗塞かもしれませんね」と言われ恐れおののく。 | |
| 1910-1920 | 幸い、受け入れ先が見つかり救急車発進。近所の病院に入る。 | |
| 1920-2030 | 収容された病院で、再び問診を受ける。その後心電図、レントゲン、採血を立て続けに受ける。119番通報した時に比べて、痛みは少し和らいできていた。そんな状態で看護婦さんに、風呂にもろくに入っていない汚い体を見られ電極を付けられる時の恥ずかしさに身もだえしつつ、一方で「このまま入院かなあ」と漠然とした不安を覚えていた。 | |
| 2030-2130 | 検査結果を基にした医師の診察を受ける。その頃には痛みもあまりなくなってきたが「特に異常なし、同様の症状が出たらまた来てください。その時詳しい検査をしましょう」と言われ、病院を追い出される。 | |
| 2200 | 歩いて帰宅。 | |
| 2300 | ベッドに横たわっているうちに少し胸が痛んできたが、そのまま寝てしまう。 | |
| 3/23 | 0000-2400 | 家から一歩も出ず。自分がそうと決まったわけではないが「狭心症」「心筋梗塞」でググっては憂鬱になり、ニコ動を見て気を紛らわせていた。 | 
今日は普通に出勤して仕事をしているが、まだ様子を見ている状態。とにかく近いうちにもう一度病院に行って、何とかして何が悪さをしているのかはっきりさせたい。