Category Archives: note(生活の記録)
喫煙がチンコの成長を妨げる
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1年の3分の2が過ぎる。最近あせり気味。どうして?
ラーメンはうまいよ。
昨日見た夢
さそりに刺された夢を見た。
病院を何らかの理由で訪れた後、帰ろうとして出口に差し掛かると戸口のすぐそばにさそりがいるのが見えた。これはいけない、誰かが刺されたら一大事だ、と思い追い掛けるがさそりは巧みに逃げ停めてあった車の下に潜り込む。絶対に見つけてやると盲目的に決意して車の下を覗き込むが、ふと首が無防備になっているのに気付く。その時にはもう遅くさそりはいちはやく俺の首筋に止まっていた。
そしてさそりの針が俺の肌を刺すのと俺の手がさそりを叩き潰すのはほぼ同時であったろうか。鈍痛と同時に手足の自由が利かなくなりその場にへたり込んでしまった。周りの人が急いで俺を病院の中に運び込み医者に見せるが医者は言を左右にして診察しようとしない。とうとう堪忍袋の緒が切れ「なぜ俺を診ない。このままだと俺は死ぬのだぞどうしてくれる」と怒鳴り散らす。
思わず目が醒めた後首筋を確かめてしまった。
地方都市礼讃
最近酒が弱くなって困る。といっても純粋にアルコールの許容量が減少したとは思えず、酒を呑む時に何かこうよっしゃぁぁ酒呑んで呑んで呑みまくって呑み倒して呑みけつかってやるぜぇぇみたいな強引さ、もしくはパワーが限りなく減少しているような気がする。このままでいいのか俺。まあそんなことはどうでもいい。
8日から田舎に帰る途中で寄り道。和歌山に行った。目的としてはラーメン食うぞ、とか思っていたのだがそれについては別にページでも作ってそこに書こうかな、なんて思っているのでここにはあえて書かない。そのうち書こうか。
和歌山は良い街だ。住むのにはかなりいい感じだろう。大阪まで1時間足らずと遠からぬ距離にあり、しかも郊外に行けば潮風と湿気の多さで適度に南国風情が感じられる(徳島あたりまで行くと駅前に熱帯植物がどどーんと立っている所から圧倒されてちょっと嫌になる)し、県庁所在地ということもあり一通り生活に便利な物は手に入れられそうだし市街地、住宅地が無意味に広すぎないのも良い。(無意味に広いのは広島みたいな所。まあ町村合併の結果だからしょうがないと言えばそうなのだが)
とはいえJR和歌山駅に最初に降り立った時には駅前にある商店街がまるごと死んでいて(みその=美園という所だったのだが平日の昼間なのに全く息をしていなくて賑やかなのはパチンコ屋だけ)これやばいんじゃないっすかぁみたいな感じだったが実は和歌山の中心地は地元の人が「市駅(しえき)」と呼ぶ南海和歌山市駅の方であり、発着するバスも市駅の方が断然多いのである。にぎわいも市駅周辺の方がある感じ。東京生活者としては普通JR駅の周りが中心地だろ、みたいな錯覚を持ってしまっているのでこういう所にも感じてしまうのである。
旅から戻る
田舎に帰っていた。いろいろあったがとりあえず隠居するなら田舎だな、と思った。そのいろいろは追って書いて行こうと思う。
ひとりごと
何事にもガムシャラな気持ちを取り戻せそうな気がする。前向きになろう。頑張れ俺。負けるな。
夏の旅路
んー、更新意欲を取り戻したような事書いたわりには更新頻度低めな俺の怠惰さが愛しい。
そして当然のように田舎に帰るのでこの更新を最後にしばらく更新途切れるだろう。
次にこのページを更新している頃にも前向きな気持ちでいられるようにしたい。今日は景気付けに花火でも見に行こうか。
それと今になってアイコンづくりに興味を持ってしまった。将来ここでアイコンを公開できたりするのだろうか。謎は尽きない。それと、FLASHのトライアル版は結局完全に使いこなせないままに期間を終了してしまった。残念だ。
自信満々な俺
東京は暑い。これでもかと言う程暑い。起きたらじっとりと汗をかいていた。変な夢を見たからかも知れない。
きっかけが何かわからないがある有名な家を継ぐことになり養子に入ることになった。しかしその家は相当格式が高いらしくその当主ともなるといろいろな物が要求されてくるらしい。一族会議(のようなもの)が開かれ会議室のような一室に呼び出され心構えなどを皆に問いただされる。
皆口々に「この××家にふさわしい…..」「それ相応の….」と口やかましく言うので俺は困惑したが1回口を開くと言葉が滔々と口をついて出るのだった。
「私にはこの家を背負っていく覚悟はできていますし、また何者にも足許を見られずしっかりとやっていく自信があるのです。もちろん皆様のご尊顔を汚さないと言い切ることができます。ご安心下さい。」
それを聞いて皆も一応納得し「ではお手並を見せていただこうか」ということになりその会合は解散となった。
しかし本当は何一つ知識もないしこれから何をすればよいのか分かっていないのである。とりあえずデパートに入って書店に行ってみる。書店の中を歩いていると一つの本が肩に触れて落ちた。その本は歴史の本でその著者はこれから養子に入ろうとする家の苗字と同じ苗字だったので、歴史の本を読もうと思い立ち探すがなかなか見つからない。
外に出る。川沿いはまだ明るく祭りをやっているらしくみこしがゆっくりと橋を渡ってこちらに近付いてくる。本来なら途方に暮れる状態なのだがなぜか今の自分は楽観的なので「何とかなるか」と思いぼんやりと景色をながめている。
果てもない物欲によせて
先日何気なくアップルのサイトを見たらiMacが新しくなっていた。今度は赤、青、緑、白、黒の五色で見た所かなり魅力的だ。しかも99800円からなどというこれまで買った私達どう思ってんのよ的なお値段からご提供されているため、次(もし)買うとしたらノート買ってワイヤレスLANでガッツンとやってやるよ、なんて思っていた俺の物欲を無駄に刺激して止まないのである。
名誉の為に言っておくが、俺はiMacで転んで転んで転びまくり「キャーこれったらか~わ~い~い~」等と絶叫してiMacを買ったようなニワカモンのMacユーザーではない。(そのわりには知識にあまりに乏しいという噂もあるが)初めてMacに触れたのは今から8、9年前だろうか。それはまだWindowsが大ブレイクし、それとひきかえにAppleが複雑すぎる製品ラインと値段の高嶺の花度の増大などなどにより凋落する前で、ちょうど現在のノートパソコンのデザインの先駆けとなったPowerBookが出た頃だった。ちょうど家でもパソコン買おうかと言う話になりMacintosh IIsiなるマシンを購入したわけだ。しかし我が家の人間はパソコンの活用法をワープロ以外に見出すことができず、そのマシンは速攻でほとんど俺のゲーム&お遊び&ちょっとレポート書いたりする専用マシンになってしまったのである。
その頃のMacintoshには今はないがHyperCardというプログラミングツール(みたいなもの)が標準でついてきていたので、それを使って変なアプリケーションを作ったりして遊んでいたが、アイデアと描画力の無さ、及び根気の無さその他により本格的にエンターテイメントな物を作るまでには至らなかった。
その間時間の経過と共にパソコンの処理速度、記憶容量なども飛躍的に向上し、うちのマシンはどんどん時代遅れになっていった。そしてパソコンにまつわる事情にもバリバリうとくなっていった。大学受験で浪人していた時友人に連れられて行った秋葉原の電気店で初めてインターネットなどという物に触れた時、思わず「なにこれ?」と叫びそうになってしまったことを付け加えておこう。アドレスの仕組みを理解するのに1ヶ月かかった。
そして大学に入り、そこで与えられたネット接続権を生かしていろいろな情報(音楽、学問、笑えるネタ、イヤーン画像など)を学校でゲットすることができた。しかしお世辞にも勤勉な学生とはいえない俺は「どうにかしてこの有用な情報(音楽、学問、笑えるネタ、イヤーン画像など)を家にいる時もゲットできないものか」と。そう、そしてその時iMacが登場したのだ。
それからはAppleに振り回されまくりだ。前の時は自分の目の前にあるマシンに満足し切っていたためそんなことは無かったが、今度は魅力ある新製品が頻繁に出てくる。まあ魅力を感じるようにマインドコントロールされている、と言えなくもない。しかしそれが分かっていても一度解放された物欲、しかも明確な目的を伴った物欲は地獄の業火のように俺をさいなむわけで、果たされない業欲に身をよじる機会がこれからも増えるだろう。そして今からiBookの次の製品を密かに待っている俺であった。