気を回すところが違うだろ、と思ったこと

この件の続き。

ある日、やっつけで仕事をしているとソフトバンクのショップから電話があった。

手が離せなかったので電話に出ることはできなかったが、残された留守電を聞いてみると「ご予約の電池パックが着きましたので、取りにいらしてください」などと言っている。

前に行った時「新規発注も予約もできません」と冷たくあしらわれたので、泣く泣くヤフオクで電池パックを落札するはめになったのだ。だから予約など入れているはずもないのになんだろう。いぶかしみながらもリダイアルし、担当者を呼び出して確認する。

私「電池パックを取りに来いとのことですが、予約した覚えがないのですが」

担「確認しますので少々お待ち下さいー」

(待つこと3分程度)

担「お待たせしましたー。こちらの方で気を回しまして発注させていただきました(*^-^*)」

私「はあ?この前行った時『発注も予約もできない』と言われたから予約してない状態のはずですよね?」

担「そうですね・・・」

私「で、結局そちらの電池パックを取りに行くとお金を取られるんですよね?」

担「はい(キッパリ)」

私「ふざけんな」

気を回すってなによ。本当に気を回すなら発注可能になった時点でいったんこっちに連絡して「発注できる状態になりましたがどうしますか?予約しますか?」ぐらいの伺いを立てるべきだろう。それを勝手に予約しておいて「気を回しました」なんて恩着せがましい。

トッド・ラングレン@ビルボードライブ東京(4/8)

  • 開演前、ピアノがセッティングされていないのを見て「今日はHello, it’s meやらないんだな」と思う。結局やらなかった。
  • まあそんなことはいいんだが、声が全く出ていない。酔っ払ってカラオケで3時間くらい過ごした後のようだ。声帯に何かひっついて普通の音域の声すら満足に出なくなる感じ。
  • “Black Maria”、”Slut”みたいな音域的に負担がありそうな曲はもちろん、”I saw the light”ぐらいの曲も満足に歌えないようでは・・・・
  • 2階席の真ん中あたりのカウンターにいた女の人へ。トッドのピックがもらえてよかったね。貴女がピックを求めてフロアの床を這いずる様に私はドン引きでしたよ。
  • (本筋と関係ないけど)最前列のテーブルにいたおばさん達が音楽に合わせて手拍子を打ち続ける様子があまりに規則的で、昔のおもちゃ屋の店頭にあったような、シンバルを体の前で延々と打ち続けるぬいぐるみのようで可笑しかった。
  • この日のことを書いた他のblogを見ていると「最高」とか書いてあって口あんぐり。それは甘やかしすぎだと思う。本人も声が出てないことを自覚してて自嘲気味に「自分の声がダメダメでも拍手してくれてありがとう(意訳)」みたいなこと言ってたし。
  • あとは会場の選定に対する文句。飯を食べに入った店で音楽が流れているのは一向に構わないけど、音楽を聴きに行ったところで、普通のレストランみたいなレイアウトで皆が飯を食べているのはやはり性に合わない。「それが大人の楽しみなんだよ、ガキはクソして寝てな」というなら、一生お子ちゃまのままでかまわない。

携帯電話(Softbank912SH)の電池切れが早くなってきた件について

バッテリーを取り替えてもらおうとショップに行っても「在庫がありません、発注の予約もできません」とつれない返事。よくよく見ると電池が少し膨らんできている。今は電池が早くなる現象だけが起こっているが、もし急に電池が破裂して携帯電話としての使用ができなくなったとしても、ショップの担当者はそういう返し方をするのだろうか。副回線で両親の分も契約していなければ、自分ひとりの判断でどうにでもなる状態であれば、とっくに宗旨替えしているところだ。

ゆうべの夢で

今は結婚して人妻になった、学生時代の友達からラブレターをもらった。

読めば前から好きだったとか、言った覚えもない健康上の不安を一緒に引き受けるだとか、自分にとって都合のよすぎることばかり書いてあるのでその時点で「これはあやしい」という気持ちになったのだが、実は好きだったのは自分の方だったのではないのか。当時彼女とは比較的仲が良く、ペアを組んでテニスの試合に出たり一緒に飯を食べたりしていたのだが、そのことを周りがはやし立てるのがなぜか妙に嫌な気がしていつしか離れてしまった。今ならどうしただろうか。

「タイミング」と一言で言うけれど、それには個人個人の能力で何とかできるものと、そうではないもの、時間の経過という手段によってしか「あの時はそうだったね」と納得されないようなものがあるのではないか。

大きな商業的成功を収めることのなかった、深田恭子の「キミノヒトミニコイシテル」を聴いているとそのような印象がより強くなるのだった。


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http://ja.wikipedia.org/wiki/坂井三郎

晩年、『朝まで生テレビ』に坂井が出演した際、戦争の是非や戦争への構えかた等についての彼の発言に対し、周囲に陣取った反戦系の論客は何一つ反論できなかった、(という見方もあるが、それは番組を見た者の主観に依存する)、また現在の若者への苦言を期待された質問には、「自分の時代にも若いやつは駄目だと言われ続けた」とかわすと、スタジオ内で観覧していた若者から拍手が起きた。

病院に行ってきた

負荷心電図をとり、その他の精密検査の日程予約をして帰ってきた。まあ現時点では特に痛みがなく、長時間歩いたり軽く走ったりすると微妙な違和感があるくらいだからそんなものか。しかしふとしたきっかけで首や肩や腕が痛く感じたりするのは気にしすぎなのだろうか。案外何かの予兆だったりするのだろうか。心なしか血の巡りが悪くなっているような気がする。「俺、今度帰ってきたらお前のことを」と口に出してみたが、そんなお前はどこにもいない。そしておれの人生は終わる。

週末の振り返り

時間 行動
3/21 2000-2230 呼び出されて秋葉原で寿司、酒。
2300-0100 カラオケ。トイレで嘔吐し最後30分くらい寝る。
3/22 0100-0300 泥酔状態で家まで歩いて帰宅。途中深夜営業のラーメン屋でつけめん。
0400-1000 就寝。朝一で予定があったがこの酔いっぷりでは無理と判断しキャンセル。
1000-1200 起床するなり、胸のあたりが締め付けられるような痛みを覚える。ベッドから動かず。
1200-1300 痛みが治まってきたので、駅に置きっぱなしになっていた自転車を取りに行くついでに買い物。夕食と翌日のおでんの材料を買い込む。
1300-1400 昼食代わりにシリアルを食べる。
1400-1800 相撲を見るなどして過ごす。
1808 テレビの相撲中継が佳境にさしかかるくらいから、胸部の痛みが再発。そのままやり過ごそうと思ったが痛みが増す一方であり、治まる気配がない。このような痛みを感じたのは初めてであるという不安も手伝い、やむなく119番通報。名前と自宅の住所、症状を伝える。
1823 教えてもいない携帯番号に、救急隊員の方から連絡あり。問われるがままに再度症状を伝える。
1830 消防車に乗って救急隊員の方々が到着。ベッドに座りながら問いに答える形で症状を伝える。
1840 救急車到着(実際に見てはいないがサイレンの音でそう判断できた)。「外に歩いて出られるか」と尋ねられたが、歩くことに不安があったため玄関に座り込んだ形で血圧、脈の測定。先ほどと別の隊員の方から問われるままに症状を答える。
1850 救急車に収容される。サイレンを聞いて外に出てきたであろうと思われる近隣住民の好奇の目にさらされる。
1900 収容先を探している間、再び問診。「軽い(心筋)梗塞かもしれませんね」と言われ恐れおののく。
1910-1920 幸い、受け入れ先が見つかり救急車発進。近所の病院に入る。
1920-2030 収容された病院で、再び問診を受ける。その後心電図、レントゲン、採血を立て続けに受ける。119番通報した時に比べて、痛みは少し和らいできていた。そんな状態で看護婦さんに、風呂にもろくに入っていない汚い体を見られ電極を付けられる時の恥ずかしさに身もだえしつつ、一方で「このまま入院かなあ」と漠然とした不安を覚えていた。
2030-2130 検査結果を基にした医師の診察を受ける。その頃には痛みもあまりなくなってきたが「特に異常なし、同様の症状が出たらまた来てください。その時詳しい検査をしましょう」と言われ、病院を追い出される。
2200 歩いて帰宅。
2300 ベッドに横たわっているうちに少し胸が痛んできたが、そのまま寝てしまう。
3/23 0000-2400 家から一歩も出ず。自分がそうと決まったわけではないが「狭心症」「心筋梗塞」でググっては憂鬱になり、ニコ動を見て気を紛らわせていた。

今日は普通に出勤して仕事をしているが、まだ様子を見ている状態。とにかく近いうちにもう一度病院に行って、何とかして何が悪さをしているのかはっきりさせたい。